豚肉と私
「貴様と俺」というフレーズが何故かしっくりくるのである。
「私と豚塊肉」。ああ、ぶたかたまりにく。
あれは確か3月の半ば頃か。
夜の10時過ぎくらいに私は、トートツに、モーレツに、
「豚塊肉を蒸したく」なったのである。
豚塊肉を食べたい、のではなく、蒸したい、である。
実は私の中には、何故だか分からないが「一度でいいから豚塊肉を蒸してみたい」
という欲望があった。焼くでも煮るでもなく、ただひたすら、蒸す。
蒸し上げられてむっちりとした豚肉を想像したら、いてもたってもいられなくなり、
酔った勢いも手伝って、近所の24時間スーパーに直行。
「むんず」と、豚バラブロックのパックを掴み取り、レジでお金を払い、
急ぎ足(か、もしくは千鳥足)で帰宅。
小娘の衣服を剥ぎ取るように、肉のラップをメリメリと破き、そして。
「・・・・やっぱり、ゆでよう」
どういうわけか、突如、路線変更。フライパンの中でお湯を沸かして、
そのなかにドブンと肉を放り込んだ。
私の中でなんとなく「まだ、とっておこう」という気になったのである。
「豚塊肉を蒸す、という快楽」を、別の機会にまた今度、という事で。
快楽の寸止めもまた、快楽である。
ゆであがった豚肉を、包丁でそぎ切りにして、塩をふって、台所で立ったまま、
原始人のように食べたら美味かった。
それから約2ヶ月後の、先週土曜、夜。
私の中でまたしても「豚塊肉を蒸したい!!!」というシグナルが発動した。
(大体、こういう時は酔っている)
で、家族はもう寝静まっていたのだが、激しい欲望には抗えず、またしても24時間スーパーに直行。
今回は、豚バラブロックを2つ購入。相当、蒸しまくりたいようである。
「蒸す!蒸す!蒸す!!!」
・・・ああ、それなのにこの夜は・・・快楽よりも眠気に負けてしまった。
スーパーの帰り道、どんどん眠たくなってしまい、結局帰宅後、肉を冷蔵庫にぶっ込んで
そのまま寝てしまったのだ。
翌、日曜日。
さわやかな晴天、肉を蒸すにはもってこいな「蒸し日和」。
・・・・・が。
結局、この日も私は、蒸さなかった。
またしても「別の機会にとっておこう」と、快楽を寸止めにしたのだ。
「いつ蒸すの!?今でしょ!!??」と、林修先生から説教くらいそうだが、
いやいやまだまだ・・・私はこの快楽の爆発を、まだためておきたいのである。
ためてためて妄想に取り憑かれる、これもまたひとつの快楽。
結局、深夜に買った豚バラブロックはこの日、
2本仲良くチャーシューになりました。
これもまた、台所で「あともう1枚、もう1枚」と包丁でそぎ切りにして、
立ち食いするのが一番美味く感じられる。
にしても、肉を蒸さぬまま「急死」とかしたら、
これは死んでも死にきれない。台所の地縛霊になんてなりたくない。
「いつ蒸すの!?今でしょ!!」と自分に言い聞かせてたりするのも、また事実。
・・・・今度の誕生日あたりに、いよいよ蒸してもいい・・・かもしれない。
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